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志 布 志 町
 山  城
山城
掲載の写真は 県指定史跡 布志城(内城)跡
 鹿児島県歴史資料センター「黎明館」展示の模型より
 城の変遷
内城は、志布志城(内城、松尾城、高城、新城の総称)の主体部であり、肝付氏の没落による天正5年(1577年)の島津氏初代地頭鎌田出雲守政近まで、およそ400年間豪族の興亡の歴史を繰り返して います。

築城の歴史
志布志城の最初の築城年代は定かではありませんが、南北朝までは、本丸と矢倉場といわれる曲輪のみであり、新納氏の時代に中野久尾・大野久尾と拡大し、内城本丸の山下に居館を置いていました。戦国期に現在見られるような直線連郭型式の山城となり常に当地方の支配者の居城でありましたが、徳川幕府の一国一城制によって廃城となり今日に至っています。 このような城の構造は雄大で、県下屈指の山城と呼ばれています。
              昭和初期の写真展はこちら(少し重いかも)
山宮神社
山宮神社

天智天皇を祀ったこの地方の郷社大クスや銅鏡は国指定文化財

平山氏庭園
平山氏庭園
江戸初期の作園県指定文化財
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やっちく松山藩
やっちくとは、方言で「やっていこうや「やりとげる」などを込めた意味と
野菜と畜産の町と言う意味をもって付けられた。
 
   
松山城
やっちく松山藩秋の陣祭りの風景。毎年松山町人口の8倍〜10倍の方が祭りに参加する。
ふれあい広場
やっちくふるさと村宿泊施設
          松山城跡
曽於八景の一つに数えられる景観を誇り桜の名所でもある
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    拝領日記・龍之絵・三島焼
天保十三年1842年伊崎田村永吉善助が藩公に馬を献上した際に龍之絵の掛け軸・三島焼を賜りこのことを記した物が拝領日記である。
      硯 箱(すずりばこ)
伝承では飫肥伊東氏が三代将軍徳川家光より拝領した品と伝えられる
        肆部合の板碑
1341年
町内では刻字がある石造物では最古
      菅牟田の層塔
1698年
五重の層塔で各塔に梵字が刻まれている
笠塔婆と無縫塔 笠付方柱四面石塔婆
柴湯迫水神祠 随神像
三面八ぴ像 水分神
楢ケ原供養等 唐獅子
蓬原中野の田ノ神 庚申像
原田古墳 禅宗仏心院跡
時衆宗願行寺跡 蓬原土壙群
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 志布志市商工会
志布志市商工会
本所
〒899-7103
鹿児島県志布志市志布志町志布志3225番地5  (099)472-1108 Fax(099)472-0939
 
松山支所
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鹿児島県志布志市松山町新橋134番地1     (099)487-2143 Fax(099)487-2081 
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